【病態別】第6回:小脳出血(しょうのうしゅっけつ) 力はあるのに、なぜ世界は回るのか?精密機械の故障と、数年がかりのチューニング
- 1 日前
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はじめに:筋肉はある、でも立てないという恐怖

病態別にお話しする連載の第6回目は、小脳出血を取り上げます。
これまでお話ししてきた脳出血(被殻や脳幹など)では、手足が動かなくなる麻痺が最大の悩みでした。
しかし、小脳出血の患者さんが直面する現実は、それとは全く質の異なる恐怖です。
ベッドの上で手足を動かしてみると、力はある。蹴る力も、握る力も残っている。
これなら歩けるかもしれない。
そう思って立ち上がった瞬間、世界がぐにゃりと歪み、自分の身体がまるで荒波に浮かぶ小舟のように制御不能になる。
これが、小脳出血特有の運動失調(うんどうしっちょう)です。
筋力低下ではなく、コントロール不全。
力があるだけに、余計に自分の身体が自分のものでなくなったような、深い絶望感を感じやすい病態でもあります。
今回は、この見えない精密機械の故障と、そこから再び地面を踏みしめるまでの道のりについて、深くお話ししていきます。
小脳の役割:舞台裏の演出家
小脳は、脳の後ろ側、脳幹の背中に張り付くように位置しています。
ここは、筋肉に動け!と命令する場所(司令塔)ではありません。その命令を受けて動く筋肉たちを、陰ながら微調整する場所です。
例えるなら、舞台の演出家のような存在です。
表舞台に立って演技をするのは、大脳(主役)と筋肉(役者)です。
しかし、演出家がいなければ、役者がどんなに声量があっても、タイミングはズレ、照明は当たりません。
もっと滑らかに、そこは行き過ぎないで、今の動きは強すぎる。
そんなミリ単位の指示を、無意識のうちに送り続けているのが小脳です。
この演出家がいなくなると、役者(筋肉)は元気でも、舞台上の演技はバラバラになり、ストーリー(動作)が成立しなくなってしまいます。
小脳出血が引き起こす3つの制御不能

演出家からの指示が途絶えたとき、私たちの身体には日常生活を破壊する3つの大きな問題が現れます。
(1) 運動失調:パーシャルが保てない
コップを取ろうと手を伸ばすと、目標の手前で止まれずに通り過ぎてしまったり、行ったり来たりして震えてしまったりします(企図振戦)。
これは、車の運転技術で言うところのパーシャル(一定の状態を保つ)ができなくなっている状態です。
本来、私たちはレーシングドライバーが足の指先で行うような微調整を行い、さらにそのアクセル開度をピタリと一定に保つパーシャルの操作を無意識に行っています。
しかし小脳がダメージを受けると、この一定の場所で止める機能が働きません。
アクセルを踏みすぎるか、離しすぎるか。
そんな大雑把な動きしかできなくなってしまいます。
その結果、止めたい場所で行き過ぎては戻り…を繰り返すことになり、手がガクガクと震えてしまうのです。
(2) 爆発性言語:さらに高難度なアクセルワークの破綻
この微調整とパーシャルの問題は、手足だけでなく言葉にも現れます。しかも、発声におけるアクセルワークは、手足よりもさらに難易度が高いのです。
呼吸をする筋肉と、声を出す声帯の筋肉。これらを絶妙なバランスで一定に保たなければ、滑らかな会話はできません。
しかし、その調整が効かないため、ささやこうと思ってもアクセル全開の大声になってしまったり、逆にガス欠のように途切れてしまったりします。
これを爆発性言語と呼びます。ご本人は穏やかに話したいのに、まるで怒鳴っているかのように聞こえてしまう。
これは性格が変わったのではなく、声のアクセル調整がうまくいっていないだけなのです。
(3) 複視・眼振:止まらない回転
眼球を動かす筋肉の調整も、小脳の仕事です。
ここがうまくいかないと、目が小刻みに揺れたり(眼振)、物が二重に見えたり(複視)します。
想像してみてください。
常に船酔い状態で、天井も床も回っている世界を。
その中で真っ直ぐ歩けと言われることが、どれほど過酷か。この視覚情報の狂いが、恐怖心を増幅させます。
リハビリの戦略:重さと道具でブレを抑え込む
こうした症状に対し、闇雲に筋トレをしても効果は限定的です。
なぜなら、エンジンの出力不足ではなく、アクセルワークのエラーだからです。
リハビリの現場では、標準的なアプローチとして道具を使い、物理的にエラーを補正していく方法をとります。
・重り(重錘バンド)の活用 手首や足首に、あえて重り(ウェイト)を巻き付けます。
動きにくいのに、さらに重くするの?と思われるかもしれません。
しかし、これには明確な理由があります。
一つは、パーシャルが効かずにブレる動き(慣性)を、物理的な重さで抑え込むため。
もう一つは、重さという強い刺激を入れることで、今、手足がどこにあるかという感覚(固有受容感覚)を脳に分かりやすく伝えるためです。
この重りが、失われた繊細なコントロールの代わりを果たしてくれます。
・体幹機能の固定(コルセットなど) 末端の手足が震えてしまうとき、その土台となる身体の中心(体幹)までグラグラしていると、揺れは増幅します。
そのため、あえてコルセットなどで体幹をガチッと固定し、土台を安定させることで、手足のコントロールをしやすくする戦略をとります。
・視覚の補正(プリズムメガネなど) 二重に見える世界を根性で耐える必要はありません。
プリズムレンズなどの光学的な道具を使い、まずは像を一つに結ぶ手助けをします。
見えている世界が安定して初めて、人は安心して足を出すことができるのです。
プロの仕事:数年単位の引き算のマネジメント

ここからが、私たち専門職の腕の見せ所であり、最も重要なパートです。
重りやコルセット、あるいは杖といった道具は、あくまで一時的な補助輪です。
しかし、小脳の回復には非常に長い時間がかかります。
入院中のリハビリ期間(回復期)だけでは、補助輪を外すところまで辿り着けないことも少なくありません。
問題は、退院して在宅生活に戻った後です。
安全だからといって、一生重りをつけ続けるのか。それとも、脳の再学習に合わせて、少しずつ条件を変えていくのか。
現場で大切にしているのは、この微調整と引き算のプロセスです。
最初は500gの重りが必要だったけれど、生活の中で動きがスムーズになってきたら、次は250gに減らしてみる。
杖をついていたけれど、体幹がしっかりしてきたから、家の中の短い距離だけは何も持たずに歩いてみる。 メガネの度数を少しずつ弱めてみる。
この見極めは、非常に繊細です。早すぎれば転倒のリスクがあり、遅すぎれば脳の成長(可塑性)を止めてしまう。
数ヶ月、あるいは数年という長いスパンで、ご本人の今日の動きを観察し、 そろそろ、このお守りを外してみましょうか と提案する。
この継続的な伴走こそが、在宅リハビリテーションの真髄です。
残念ながら、制度の壁でリハビリが打ち切られてしまうと、この引き算のチャンスを逃し、重い装備のまま暮らしている方もいらっしゃいます。
だからこそ、私たちは制度の枠を超えてでも、そのタイミングを見逃さない存在でありたいと思うのです。
周囲への通訳が、心を救う
最後に、小脳出血の方を支えるご家族や地域の皆さんへ。
爆発性言語で大きな声を出してしまったり、食事をこぼしてしまったりするのは、決してご本人がふざけているわけでも、怒っているわけでもありません。
壊れた精密機械を、必死に意思の力で制御しようと戦っている姿なのです。
私たち専門職のもう一つの大きな役割は、ご本人に代わってその辛さを周囲に通訳することです。
怒っているのではなく、一生懸命話そうとすると大きな声になってしまう症状なんです そうやって地域の方に伝え、理解の輪を広げていく。
なんだ、そうだったのか その理解が得られたとき、ご本人の孤独な戦いは、みんなで支えるリハビリへと変わります。
おわりに:その揺れが収まる日まで、私たちは舞台袖を離れません
小脳出血後の世界は、常に足元が揺れ動いているような不安の連続かもしれません。
でも、決して一人で怖がらないでください。
人間の脳には、素晴らしい適応力があります。時間はかかります。年単位の根気が必要かもしれません。
それでも、適切な「お守り(道具)」を使い、焦らず調整を続けていけば、必ず、あ、今日は揺れが少ないなと感じる日が来ます。
重りも、メガネも、いつか外せる可能性は残されています。
あなたの人生という舞台が、再びあなたらしく輝くように。
私たちは照明を当て、音響を整え、舞台袖からずっと見守り続けます。どんなに時間がかかっても、私たちは絶対に諦めません。
一緒に、ゆっくりと、確かな一歩を踏み出していきましょう。
執筆者

理学療法士/脳卒中リハビリアドバイザー
二出川 龍
延べ3,5万件を超えるリハビリ実績。寝たきり・車椅子の方1,000人以上を再び歩ける状態へ。初台リハビリテーション病院では長嶋茂雄氏の脳梗塞リハビリに携わり「右手ポケットスタイル」を考案。/2000年〜理学療法士、2008年〜脳卒中専門リハ事業を運営。
<最後にお知らせ>
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