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「免許は返ってくる」ものではない。「勝ち取る」ものだ。脳卒中後の運転再開、その険しい道のりと、2人の男たちの挑戦

  • 執筆者の写真: 株式会社 MARUHA  MEDICAL
    株式会社 MARUHA MEDICAL
  • 4 日前
  • 読了時間: 10分
「免許は返ってくる」ものではない。「勝ち取る」ものだ。脳卒中後の運転再開、その険しい道のりと、2人の男たちの挑戦

ハンドルを握ることは、生きること

「もう一度、車の運転がしたい」


リハビリでこの言葉を聞くとき、私はいつも、その言葉の裏にある、切実な想いを感じ取ります。


それは単に「スーパーに行きたい」「病院に行きたい」という移動手段の話をしているのではありません。


特に、昭和の時代を駆け抜けてきた60代、70代の男性にとって、運転免許証とは、ただの資格ではありません。


それは社会人として一人前であるという「ステータス」であり、休日には家族をいろんな場所へ連れて行った「思い出の証」であり、そして何より、誰の力も借りずに自分の意志でどこへでも行けるという「自由と尊厳」そのものです。


脳卒中によって、ある日突然、その翼をもがれてしまった喪失感。


ちょっとした用事でも「家族に送迎を頼まなければならない」という情けなさ。


移動できないことで、社会との接点が断たれ、家庭内での父親や夫としての役割すら失ってしまったように感じる虚無感。


その痛みは、健康な人には想像もつかないほど深く、当事者の心を蝕みます。


しかし、現実は厳しいものです。


「退院して体が動くようになれば、すぐに乗れる」と思っている方も多いですが、脳卒中後の運転再開には、公安委員会への申告、主治医による詳細な診断書、そして運転免許センターでの適性検査という、非常に高く、険しいハードルが待ち受けています。


今日は、その険しい道のりに挑み、一度は絶望の淵に立たされ、涙を流し、それでも諦めずにハンドルを「勝ち取った」、ある2人の男性の物語をお話ししたいと思います。


これは、特別な奇跡の話ではありません。


諦めないあなたと、それを支える家族、そして私たち専門家が「チーム」になれば、十分に起こり得る「現実」の話です。


第1章:行政処分の壁と、見えない敵との戦い

まず、避けては通れない「制度の現実」をお話ししなければなりません。


脳卒中になると、道路交通法に基づき、一時的に運転免許の効力が停止、あるいは保留の状態になります。


これを再開するには、単に手足が動けばいいわけではありません。


「脳の機能」が、複雑な交通社会での安全運転に耐えうるかを証明しなければならないのです。


私が担当したFTさんは、中等度の麻痺がありましたが、懸命なリハビリで身体機能は順調に回復しつつありました。


「これならいける」 ご本人も、私たちもそう信じていました。しかし、運転再開への道は、そこで無情にも閉ざされかけました。


医師の診断の段階で、「高次脳機能障害」を指摘されたのです。


その診断結果に基づき、行政処分の判断として「不合格(運転不可)」という通知が突きつけられました。


理由は、運動機能ではなく、目に見えない「空間認知能力」の問題でした。


運転には、車幅感覚や、他車との位置関係を瞬時に把握する高度な能力が必要です。


免許センターの検査や医師の評価では、積み木のイラストを見て、隠れて見えない部分に積み木がいくつあるかを判断するような課題が出たりします。


FTさんは、日常生活では問題なく会話ができ、笑顔で過ごせていました。


しかし、この「空間の広がり」を脳内で立体的にイメージすることが、病気の影響で極端に苦手になっていたのです。


さらに、運転シミュレーターでの検査も彼を苦しめました。


ベテランドライバーである彼は、本来、風の音や車の振動、スピード感を体全体で感じて運転するタイプでした。


しかし、画面だけの無機質なシミュレーターでは、その「感覚」が得られません。


「車ならもっと感覚でわかるのに!」 そのズレに脳が混乱し、焦りが生まれ、結果として反応が遅れ、検査の結果は散々なものでした。


「運転できない」という事実を突きつけられた日のFTさんの落胆ぶりは、見ていられないほどでした。


脳卒中の後遺症の一つに「感情失禁」といって、感情のコントロールができず、些細なことで涙もろくなってしまう症状があります。


普段は気丈で、弱音を吐かない彼が、人目もはばからず涙を流し、「もう外を歩くのも嫌だ」と、家に引きこもってしまいそうになりました。


「運転できないなら、俺にはもう価値がない」 言葉にはしませんでしたが、その背中はそう叫んでいるようでした。


第2章:家族の「信頼」が、最強のエンジンになる

第2章:家族の「信頼」が、最強のエンジンになる

ここで、FTさん、そしてもう一人の主人公であるFHさん(後ほど詳しくお話しします)のご家族について触れたいと思います。


通常、脳卒中の方が「また運転したい」と言い出すと、ご家族はどう反応するでしょうか。


多くの場合、猛反対します。


「危ないから絶対にダメ」「事故を起こしたらどうするの」「被害者にも加害者にもなりたくない」 それは、ご本人を愛しているからこその心配ですが、ご本人にとっては「信用されていない」「一人前として扱われていない」という新たな傷になります。


そして、この家族間の対立が、リハビリの意欲を削いでしまうことも少なくありません。


しかし、このお二人のご家族は違いました。


「お父さんがそこまで言うなら、応援しよう」 「あなたなら、きっとまたできるようになる。協力するよ」


誹謗中傷や否定の言葉は一切なく、ご本人の意思を尊重し、全面的に背中を押してくれたのです。


それは、病気になる前、お二人がいかに家族のためにハンドルを握り、安全運転を心がけ、家族からの信頼を積み重ねてきたかという証でもありました。


FTさんが涙を流して落ち込んだ時も、ご家族は「もう諦めなさい」とは言わず、静かに寄り添いました。


そして、私たち専門家チームも、彼にこう伝え続けました。


「FTさん、一度の失敗は終わりじゃありません。


何が苦手だったか分かったのだから、次は対策ができます。この失敗は、合格のためのデータですよ」


その声に支えられ、FTさんは再び顔を上げました。


そこから、シミュレーター対策だけでなく、実際に街を歩きながら「あそこの看板までの距離感」や「人混みの予測」といった空間を把握する訓練、視野を広げる訓練を地道に重ねました。


医師の再評価を受け、行政の手続きを一つ一つクリアし、実に3回目の挑戦で、見事に合格を勝ち取ったのです。


合格の知らせを聞いた時の、あの笑顔。


それは、単に免許が戻った喜びではなく、「自分はまだやれる」「家族の信頼に応えられた」という、失いかけた自信を取り戻した瞬間でした。


第3章:マニュアル車への執念と、「左足首」の秘密

もう一人の主人公、FHさんの物語もまた、壮絶です。


彼は無類の車・バイク好きで、持っていたのはオートマ限定ではなく、マニュアル車の免許。さらに大型バイクの免許も持っていました。


「また、マニュアル車に乗りたい。バイクに乗りたい」 それが彼の悲願でした。


しかし、彼には左片麻痺がありました。


マニュアル車を運転するには、左足でクラッチペダルを操作しなければなりません。


オートマ車なら左足を使わなくても運転できますが、マニュアル車はそうはいきません。


クラッチ操作には、単にペダルを踏み込む力だけでなく、「半クラッチ」のような、足の裏の感覚を使った非常に繊細なコントロールが求められます。


実は、FHさんの左足首は、本来であれば装具(プラスチックの固定具)を着けた方が歩きやすい状態でした。


しかし、彼は入院中から「装具は着けたくない」と強いこだわりを持っていました。


もし装具を着けてしまえば、足首は直角に固定され、繊細なクラッチ操作はより困難になります。


私は、彼のその「執念」に応えることにしました。


装具なしで生活するため、そして将来の運転のために、徹底的に左足首にこだわったリハビリを、長い期間(保険外の自費リハビリも含めて)続けてきました。


私たちがこだわったのは、「深部感覚(位置覚)」です。


麻痺があると、自分の足首が今、曲がっているのか伸びているのか、目で見て確認しないと分からなくなります。


これでは、足元のペダル操作など不可能です。


私たちは、目を閉じた状態でも「今、足首はこの角度です」「今、これくらい踏み込んでいます」と分かるまで、感覚を研ぎ澄ませる訓練を繰り返しました。


そして、「ミリ単位のコントロール」


人が歩くとき、足の裏と地面の隙間(クリアランス)は、わずか1.5cm〜2cmしかありません。


装具なしで、つまずかずに歩くためには、このわずかな隙間を、無意識に作り出せるだけの足首の動き(背屈)が必要です。


彼が目指したのは、当初は「きれいに歩くこと」「坂道でも転ばないこと」でした。


しかし、そのために繰り返した「ミリ単位の足首のコントロール」と「研ぎ澄まされた感覚」が、結果として、マニュアル車の試験における、エアの圧力を認知し絶妙に調整するテストにも適応できる技術へと繋がったのです。


歩行のためのリハビリと、運転のための技術。


点と点が線になった瞬間でした。

残念ながら、二輪のバイクはバランスの問題で許可が降りませんでした。


しかし、彼はそこで腐りませんでした。


「二輪がダメなら、三輪(サイドカー付き)ならどうだ」と自ら制度を調べ上げ、見事に「側車付きオートバイ」の条件付き免許を勝ち取ったのです。


今、彼は自分好みのサイドカーを探しながら、少年のように目を輝かせています。


第4章:運転再開は、リハビリの集大成

第4章:運転再開は、リハビリの集大成

この2人の物語から、私たちが学べることは何でしょうか。


それは、運転再開とは、単なる手続きではなく、身体機能、高次脳機能(空間認知や判断力)、そして家族の信頼。


これら全てが噛み合った時に初めて開く、自尊心の再獲得なのです。


そしてもう一つ、重要な事実があります。


それは、保険のリハビリでは、制度上、実際の車を使った練習や、免許センターへの同行まではカバーできないことがほとんどだということです。


FTさんがシミュレーターと実車の感覚のズレに苦しんだように、病院の中だけの訓練では、超えられない「リアルの壁」があります。


だからこそ、私たちのような、制度の枠を超えてサポートできる専門家の存在が必要になります。


リハビリは体をマッサージするだけではありません。


「空間認知の歪みはないか」

「足首の感覚は、ペダル操作に耐えうるか」

「ご家族の不安を取り除くために、どのような段階を踏んで実績を作ればいいか」


そういった、運転に必要な要素を総合的に評価し、行政に提出する診断書の根拠となるデータを作り、時には実車訓練に向けた具体的なアドバイスも行います。


FHさんのように、歩行のための地道なトレーニングが、数年後に運転という形で花開くこともあります。


無駄なリハビリなど、一つもないのです。


おわりに:その「涙」を、再出発のガソリンに変えて

診察室で「運転はダメです」と言われ、涙を流したことのある方へ。


その涙は、あなたがそれだけ真剣に、自分の人生と向き合っている証拠です。恥じることではありません。


諦めるのは、まだ早いかもしれません。


もちろん、命に関わることですから、安全が第一です。


最終的に運転を断念せざるを得ない場合もあります。


しかし、FHさんのサイドカーのように、正しい知識と工夫、そして執念があれば、別の道が開けることもあります。


大切なのは、一人で悩まないことです。


行政の壁、身体の壁、心の壁。


その一つ一つを、専門家と一緒に、戦略的に乗り越えていきましょう。


あなたの「もう一度、風を感じたい」というその情熱こそが、辛いリハビリを乗り越えるための、最強のガソリンになります。


いつかまた、あなたが笑顔でハンドルを握る日が来ることを、私は信じて応援し続けます。


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